下関の水 おもしろ塾 ❻ 水にまつわる伝説 彦島・藤ケ迫上水道
彦島・藤ケ迫上水道
個人事業家による水の近代遺跡

 小学校の社会学習にふれて・・・
 「富田水・富田井戸のなりたち」


 彦島・老の山は、豊かな湧き水の源だったと言われます。
山口県立中等高等教育学校の下、そのあたりは黄紺川の源になっています。さらに、老の山周辺の谷間には、いくつかの「ため池」があったそうです。
 早速、富田水・富田井戸をたずねていくことにしましょう。
まずは、彦島本村バス停から海士郷方面へ一つ目、黄紺川バス停から出発しましょう。バス停からは老の山、山口県立中等高等教育学校がある方向を目指して、小さな路地を上っていきます。

 黄紺川とは名のみで、いまは暗きょになっている川です。
どこをどのように流れているのか、よくわかりません。
この小路を上ること、およそ四百メートルほど。学校前の坂まで上りきったところにある寿司屋さんの下。と言うか、その手前の右手に藤ヶ迫駐車場があります。
 そしてこの辺りは、かつては藤の花が群生するところでした。ゆえに、藤の花が咲く谷、藤が迫と呼ばれるようになりました。
その駐車場の奥まったところに「富田水 井戸之跡」があります。
 この井戸が掘られたのは大正末期です。
その目的は、彦島運動グランドあたりにあった株式会社日冷の前身「帝国製氷株式会社」本村工場へ給水するためでした。
 当時、工場では、遠洋トロール漁業船団が使う氷をつくっていました。しかし彦島では水が足りないので、対岸の門司まで水を買いに行っていました。水1トンが八十銭したそうです。 
 そこで彦島老町の冨田徳松が、私財を投じて井戸を掘ることになりました。
すぐれた工事機械もない時代でした。
人力のみで、長い期間をかけて1925年(大正14年)に、ようやく井戸は完成しました。

 では、井戸の構造について、持ち主の冨田家に残る資料と近所の方たちの記憶をもとに再現しましょう。
井戸の直径は地表面で約1.2×1.6㍍の楕円形。
その深さは25㍍。八階建てのビルほどもあります。
地表から5㍍ほど降りたところから井戸の直径は、二分の1ほどの大きさになり、井戸の底まで続いています。

 水を汲み上げるための動力電源がひかれ、底には電動の水中ポンプが設置してありました。冨田徳松が特許を取ったモーターです。
ときどき、冨田さん自身がモーターの点検に降りていたそうです。

 井戸の底からは、さらに横穴が三方に掘られていました。
一方は270㍍。他の二方はそれぞれ360㍍の長い横穴でした。
この横穴の大きさは、人がやっとかがんで通れるほどの大きさでした。
しかし、どこまで続いていたのか、資料図面が見あたらないので、よくわかりません。
なんでも戦後、アメリカ駐留軍が書類一式を没収したとか。

 この井戸から汲み上げられた水は、50㍍ほど下ったところにあった「ろ過池(砂の層を敷き詰めた浄水池)」まで送られます。
井戸水は、ここで砂の層を通って、ろ過され浄水になります。

 浄水は「ろ過池」から直径20㌢ほどの鉄管を通して、本村工場までながれていきます。 
この「ろ過池」があったあたりは、現在は駐車場になっています。当時「ろ過池」は、三面あったようです。
また、その一面には鯉が泳いでいました。

 鉄管は、暗渠(あんきょ)となった黄紺川に沿って設けられていました。その途中には、近所の人たちが利用できるように蛇口が備えられていました。
 浄水は、工場が使用するだけでなく、近所の人たちも使っていました。

 当時、富田井戸からくみ上げていた水の量は、一日に約200トンあったそうです。現在の世帯使用量に換算すると、約290世帯分に相当します。(※2006年・平成18年の一世帯平均使用量は700㍑/日)

 昭和になって(1933年・昭和8年)彦島は、下関市に編入されます。その二年のち、1935年(昭和10年)1月1日、当時の下関市水道局によって彦島にも給水が始まりました。
本村には通水完成の記念碑が建っています。

 やがて遠洋漁業も衰退、氷製造業も下火になり、1972年(昭和47年)日冷本村工場は閉鎖されます。
それにあわせるように、富田井戸はコンクリートで蓋がされました。
大正から昭和にかけて個人が興した給水施設は、こうしてその役目を終えたのです。
 現在、井戸の跡には、井戸の神様をお祀りした管理小屋が建てられ。新たな電動ポンプが設置され、近所の人たちが生活用水として利用しています。
その隣には、日冷本村工場による顕彰記念碑が立っています。


 ここまで、大正末期から昭和にかけて掘られた、富田井戸の記録を探ってみました。
 彦島・藤ケ迫上水道は、下関市の上水道が完成するより以前にできた、個人が設営した給水施設として、たぐいまれな近代文化遺構ではないでしょうか。


 もし、あなたが望み、そして、少しの探究心を発揮すれば、これらの遺構を、黄紺川に沿った道筋に、いくつか探すことができるでしょう。 
 富田水・富田井戸は、彦島の小学校生徒を対象にした社会学習の見学コースになっているようです。

参考資料                        
      ●のびゆく彦島 彦島四校社会科研究会1967年昭和42年6月刊
●彦島大観  関門報知新聞社刊
            
文責 浅井仁志
 
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